低高度軌道衛星からの無線データ伝送の世界最高速(2.65Gbps及び3.3Gbps)を達成【JAXA、東京大学、慶応技術大学】
モバイル/無線 無料JAXA 宇宙科学研究所 齋藤宏文教授(研究当時、現名誉教授)、東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻 中須賀真一教授、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 白坂成功教授の研究グループは8月3日、内閣府革新的研究開発促進プログラム(課題名 オンデマンド即時観測が可能な小型 合成開口レーダ衛星システム、2015-2018 年)にて、低高度軌道の小型衛星からの超高速データ伝送通信システムを開発したと発表した。そして、2019 年 1 月に打ち上げられた宇宙航 空研究開発機構の革新的衛星技術実証 1 号機 小型実証衛星1号機(RAPIS-1)を用いて軌道上の実証実験を行ったという。
RAPIS-1 衛星からのX帯(8GHz帯)の超高速データ伝送信号を、JAXA 追跡ネットワーク技術センター臼田宇宙空間観測所にある宇宙科学研究所所有の 10mアンテナにて受信した後、データレコーダに一旦記録し、ソフトウェアにて復調復号を行った。その結果、低高度衛星からの無線を用いたデータ直接伝送として世界最高速となる2.65Gbps及び3.3Gbpsの通信速度を実験的に実証することに成功した。
この通信システムは、天候に左右されず低価格なシステムが可能なX帯(8.GHz)の電波を、偏波多重と高度な変調方式である64APSK(64 値振幅位相偏移変調)及び256APSK(256 値振幅位相偏移変調)技術を用いて、世界最高レベルの周波数利用効率(8.4bps/Hz, 及び 10.8bps/Hz)で有効に利用している。今後の宇宙利用では、多数の小型地球観測衛星群により、“いつでも どこでも”地球表面の 光学画像やレーダ画像を取得するミッションが、社会や経済活動に大きな変革をもたらすと予想される。今回の軌道上実証は、これらの地球観測監視ミッションの大量なデータを低価格で地上に伝送する技術に大きく貢献すると期待される。
背景
近年の宇宙からの地球観測分野では、観測技術の高度化により地表分解能や観測精度の向上が進み、これに伴う観測データの大容量化が進んでいる。また、小型衛星を多数機打ち上げた衛星群(コンステレーション)によって特定の地域を観測する頻度を高めて、毎日、あるいは数時間ごとにその地域の観測を行い、さまざまなビジネスに利用する事が日本やアメリカで実施ないしは計画されている。以上のような状況のもと、観測衛星から地上局への観測データ伝送通信の高速化が望まれている。表1には、地球観測衛星の直接データ伝送通信の動向がまとめられている。
各国の宇宙機関では周波数帯域が広くとれる無線領域であるKa帯(25.5-27GHz、周波数帯域幅1500MHz)の電波を利用して、高い通信速度を実現する研究を行っている。NASA は 2022 年に打ち上げ予定の NISAR という大型衛星にて、この Ka 帯を使用して 4 Gbpsのデータ直接伝送を行おうと、準備をすすめている。JAXAも2020 年代中頃を目標に、Ka 帯を用いて地球観測衛星から地上局へ平均8Gbpsの伝送速度を目指している。また、高速通信としては宇宙光通信も有力な方法だ。
ただし、Ka 帯や光を用いた通信方式は、基本的な観測衛星から直接地上局へ伝送する方式では、降雨や雲などの影響で性能が低下しやすい問題がある。また、Ka帯の通信システ ムは現在では低価格化が困難だ。このため、雲や降雨の影響をほとんど受けない X 帯と呼ばれる 8.025-8.4GHz(周波数帯域幅 375 MHz)の電波による通信が、現在では最も普及している観測データの高速伝送方法となっている。表1に示されているように、このX 帯の高速通信としては、大型の地球観測衛星 WorldView-3 が1.2Gbps(毎秒 12 億ビット) の通信速度を実用化している。小型衛星としては、最近、米国 Planet 社の超小型衛星(Cube Sat)Dove が 1.6Gbps(毎秒 16 億ビット)の通信速度を達成している。
しかし、通信速度の向上の要求は更に大きく、これらの通信速度を超える技術開発が求められている。X 帯の電波は低価格な通信システムが可能で、天候に左右されないという大きなメリットがあるものの、周波数帯域幅はKa 帯の約 1/4 であるため、通信速度を現在以上に向上させるためには、電波の電界方向の違いを利用した偏波多重技術や高度な変調方式を用いて、 高い周波数利用効率を達成することが課題だった。
研究の内容
通信システム JAXA 宇宙科学研究所の齋藤宏文教授(研究当時、現名誉教授)のグループは、2010 年頃から小型衛星からの高速データ伝送の研究を宇宙科学研究所工学委員会の経費で開始しており、2014 年には東大の小型衛星ほどよし4号衛星にて、500Mbpsの高速データ通信に成功した。
この成果を発展させて、JAXA 宇宙科学研究所、東京大学、慶應義塾大学からなるチームは、8GHz帯の電波を使用して低高度衛星からの超高速伝送通信システムを、内閣府の革新的研究 開発促進プログラム ImPACT(課題名:オンデマンド即時観測が可能な小型合成開口レーダ衛星システム、2015-2018 年)にて開発した。自然災害などの緊急事態が発生した際に、観測に最適な軌道へ小型衛星を速やかに打ち上げ、対象地域の合成開口レーダ撮像を行い、直ちに国内の地上局へ観測データ伝送することを目的として、ベンチャー企業や東大大学院生とともに開発を行って来た。表2には、開発した直接データ伝送システムの主要諸元が示されている。
軌道上実証試験
このようにして開発された送信機と搭載アンテナは、JAXA の革新的衛星技術実証 1 号機 小型実証衛星 1 号機 RAPIS-1 に搭載され、2019 年 1 月に打ち上げられた。衛星からの信号はJAXA 追跡ネットワーク技術センター臼田宇宙空間観測所にある宇宙科学研究所所有の10mアンテナにて受信された。このような高速の伝送信号を受信しながら直ちに復調できる復調装置は未だ存在しない。このため、受信信号は一旦データレコーダに記録され、衛星受信が終了した後に、同プロジェクトで新たに開発したソフトウェア復調器で復調作業を行った。
世界最高の無線通信速度
RAPIS-1衛星からの信号を受信復調した結果、2偏波多重の64値振幅位相偏移変調(64APSK)方式では2.65Gbps(毎秒26 億 5000 万ビット)、及び、2偏波多重の256値振幅位相偏移変調(256APSK)では3.3Gbps(毎秒33億ビット)の通信速度の軌道上実証に成功した。この通信方式では、電波の周波数帯域幅を非常に効率的に使用しており、周波数1 Hzあたりの情報伝送速度としては、64APSK方式では1 Hz当たり8.4bps、256APSK方式では1Hz当たり10.8bpsという世界最高クラスの値を達成している。
この通信システムは、衛星からの信号を受信中に即時に復調できるリアルタイム復調ではないが、表1で示されていたように、RAPIS-1 衛星で実証した通信速度は無線を用いて行われた低軌道衛星からの直接データ伝送において、公開されているものとしては現時点での世界最高速度だ。また、低軌道衛星からの256APSK 方式の通信は、公表されたものとしては世界初のものとなる。以下は、同研究の特徴を解説したものとなる。
高速信号処理
複数の情報ビットを担う変調波形の単位はシンボルと呼ばれる。同システムでは、X帯で使用できる周波数幅(315MHz)を効率的に使用するために、1 秒間に300Mシンボル(毎秒3 億シンボル)を送信する。この信号処理のために最先端の民生用信号処理デバイスを人工衛星で使用している。
高度な変調方式
今回用いられた通信変調方式は64 値振幅位相偏移変調(64 Amplitude Phase Shift Keying,64APSK)と、256 値振幅位相偏移変調(256 Amplitude Phase Shift Keying,256APSK) と呼ばれる方式。これは、1 つのシンボルで 6 ビット、及び 8 ビットの情報を伝送できる 周波数利用効率の極めて高いものだ。
例えば、64APSK では、1 シンボルで6 ビットの信号列(0,1,0,1,0,1)や(1,0,1,0,1,0)など64(=2の6条)通りのパターンのいずれかの信号列を送る。図3には、JAXA10mアンテナで受信して復調した RAPIS-1 衛星からの超高速信号を振幅と位相の座標平面(I-Q 平面)で表した信号点の分布(コンステレーション)が示されている。
図3の上段は 64APSK 変調方式であり、64 個の異なるデータ点が確認できる。各々の信号点を 6 ビットの信号列に対応させることで、1シンボルで6ビットの信号列を伝送できる。同様に、下段は 256APSK 変調方式であり、1シンボルで 8ビット列を伝送するので、256 個のデータ点が確認できる。なお、左側は左旋円偏波チャン ネル、右側は右旋円偏波チャンネルとなる。
図3から理解できるように、このような高度の変調方式では、コンステレーション平面での 信号点の分布を非常に密に配置させている。ちょっとした信号波形の歪が、信号点の配置位置をずらせてしまう危険性がある。このため、送信信号の変調、増幅の過程で信号が歪むことを極力抑圧する設計を人工衛星搭載の送信機で行うことが必要だった。同研究では特に、高効率で歪みの少ない窒化ガリウムトランジスタを用いた信号増幅器の開発に成功した。
偏波多重
この通信方式では、衛星から地上局に伝搬する電波の電界の向き(偏波と呼びます)として、2つの偏波チャンネル(電界が右ねじの向きに進む右旋円偏波、及び、左ねじの向きに進む左 旋円偏波)を使用して偏波多重を行っている。この各々の偏波で独立な情報ビットを送信することで、2チャンネルの通信路を実現している。この2チャンネルの電波は、周波数は共通であり、偏波(電界方向)の回転していく方向だけが異なる。加えて、64APSK と 256APSK では、図3のようなコンステレーション平面で信号点が非常に密に配置されているため、ひとつの偏波チャンネルにもうひとつの偏波チャンネルからの信号が漏れこんでくると、コンステレーション上での信号点がずれてしまい、正しい通信ができなくなる。このような偏波チャンネルをまたぐ信号の漏れ込みは、衛星搭載アンテナや地上アンテナで起きやすい。これを防止するために、搭載アンテナと地上アンテナにおいて2つの偏波チャンネルがまじり合わないよう、高性能なセプタム型ポラライザと呼ばれる偏波分離装置を開発することに成功した。
これらの技術開発により、貴重なX帯の周波数帯域幅を無駄なく有効に使用することができた。2チャンネル合計で、64APSK 変調で通信速度 2.65Gbps、256APSK変調で3.3Gbpsを達成した。なお、これらの通信速度には使用した誤り訂正符号の符号化効率を考慮している。
今後の発展
今研究成果は、自然災害等の直後のオンデマンドな即時観測のデータを直ちに国内地上局へ伝送するシステムに、システムの信頼性を高めつつ、今後利用されていくと思われる。 一方、国内外で計画されている多数機の小型衛星群(コンステレーション)による地球観測 や通信ミッションでは、図4に示すように、グローバルに配置されている海外地上局を使用し、多数の小型衛星からのデータをいち早くユーザへ届ける必要がある。このため、地上局で信号を受信しながら復調できるリアルタイム復調器の開発と普及が待たれる。JAXA では、このような高速データ伝送の地上復調器の研究に着手している。また、広く海外にも普及した通信規格を使用する必要もある。JAXA では、同システムに使用している通信規格 DVB‐S2Xが宇宙通信の国際規格に採用されるよう標準化活動も実施しているという。
今回開発された通信技術は、基本的な要素はX帯にかぎるものではなく、今後は、Ka帯を用いたデータ伝送でも活用されていく。同技術をKa帯に適用した場合には、Ka帯の周波数を更に効率に利用でき、10Gbpsを越える超高速データ伝送も可能となってくる。
今回開発された小型合成開口レーダ(SAR)システムの技術は、JAXA の宇宙イノベーションパートナーシッププログラムを通じ、スタートアップ企業においても活用され2020年に軌道上実証される予定だ。さらに、2020年代中頃には25機の小型SAR衛星群を実現することが計画されている。同高速通信技術も、そのような今後の民間ビジネスに利用され ることが期待されている。