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高温動作可能な高出力テラヘルツ量子カスケードレーザー【理化学研究所】

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非平衡グリーン関数計算による新しいリーク電流の解析

 理化学研究所は2月15日、同研究所 光量子工学研究センターテラヘルツ量子素子研究チームの林宗澤研究員、王利特別研究員、王科研究員(研究当時)、平山秀樹チームリーダーらの共同研究チームが、「非平衡グリーン関数法」に基づく第一原理計算を用いて、「テラヘルツ光」を光源として用いる「テラヘルツ量子カスケードレーザー」の高出力化および高温動作性能の向上に成功したと発表した。
 同研究成果は、イメージングや短距離超高速大容量無線通信に向けた半導体レーザーへのテラヘルツ光の応用に貢献すると期待されている。
 テラヘルツ量子カスケードレーザーには高出力、連続動作、狭線幅などの特長があるものの、動作温度は最高でも199.5K(-73.65℃)と低く、室温での動作にはまだ至っていない。
 今回、共同研究チームは、非平衡グリーン関数法に基づいた第一原理計算によって、テラヘルツ量子カスケードレーザーの発光層構造における電子密度分布・電流分布・光利得を直接計算する方法を開発し、これらが液体ヘリウム温度(4K、-269℃)から室温までの間でどのように変動するかをシミュレーションした。これにより、従来の構造設計では定量化が難しかった、上位発光準位から発光過程に直接寄与しない遠距離の高エネルギーサブバンド準位への「リーク電流」の存在を発見し、高出力動作および高温動作に対するこのリーク電流の影響を解析した。そして、このリーク電流を抑制する新たな構造のデバイスを設計・作製し、液体窒素温度(77K、-196℃)での高出力化を実現した。

背景

 光と電波の特性を兼ね備えた「テラヘルツ(THz)光」は、物体内部の透過像の取得や分子間相互作用の検出ができるため、セキュリティや分光分析をはじめとする広範な分野への応用が期待されている。テラヘルツ光源を用いた半導体レーザーの「テラヘルツ量子カスケードレーザー」は、小型ながら高出力、連続動作、狭線幅などの特長を持っている。
 しかし、テラヘルツ量子カスケードレーザーの応用にはいくつかの課題がある。まず、現段階におけるテラヘルツ量子カスケードレーザー(3.2THz)の最高動作温度は199.5K(-73.65℃)と低く、室温での動作にはまだ至っていない。その上、199.5Kでの出力は低温時(~10K、-263℃)に比べて2、3桁低下するため、出力特性の制御もまだ不完全だ。これらを解決するためには、テラヘルツ量子カスケードレーザーの動作を詳しく解析・理解し、素子構造などを改善する必要がある。

研究手法と成果

図1 非平衡グリーン関数法で計算した電流マッピング図
上段は、高エネルギーサブバンド準位を最適化していない構造(構造1)、下段は、非平衡グリーン関数法により高エネルギーサブバンド準位を最適化した構造(構造2)の電流マッピング図。電流マッピング図を比較すると、構造1の電流は上位発光準位から周期n+1の方に伸びていることが分かる。これにより、リーク電流が発生する原因は、周期nの上位発光準位と隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていることにあることが分かった。

 共同研究チームはまず、非平衡グリーン関数法に基づいた第一原理計算により、テラヘルツ量子カスケードレーザーの発光層の超格子構造における電子密度分布、電流分布、光利得(レーザー媒質中の光の増幅量)を直接計算する方法を開発した。この方法では、温度変化によって動作時の電気特性や光利得などがどのように変わるかを、液体ヘリウム温度(4K、-269℃)から室温までの範囲でシミュレーションできる。
 従来のガリウム砒素(GaAs)を素材とするテラヘルツ量子カスケードレーザーの解析や設計では、レーザーの発振に直接関わるエネルギー準位である「サブバンド準位」(注入準位、発光準位、引き抜き準位)を中心に発光層の構造最適化が行われており、他の高いエネルギーのサブバンド準位(高エネルギーサブバンド準位)との相互作用は計算による定量評価が難しく、ほとんど考慮されていなかった。
 これに対し今回開発した方法では、積層構造中の全てのエネルギー領域のサブバンド準位を同時に考慮し、各サブバンド準位間の相互作用とその影響を総合的に解析できる。解析の結果、上位発光準位から発光過程に直接寄与しない遠距離の高エネルギーサブバンド準位への「リーク電流」の発見および定量化に成功した(高エネルギーサブバンド準位を最適化していない構造:構造1)。そして、このリーク電流は、周期nの上位発光準位と隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていることにより発生していることが分かった(図1上)。そして、非平衡グリーン関数法により高エネルギーサブバンド準位を最適化することで(構造2)、リーク電流が抑制されることを示した(図1下)。

図2 構造1と構造2の最高光利得の温度依存性の計算結果
高エネルギーサブバンド準位を最適化した構造2では、上位発光準位からのリーク電流が減少するため、構造1に比べると低温領域での最高光利得が大きく改善しており、液体窒素温度(77K)まで高い最高光利得が保たれていることが分かる。

 また、リーク電流が光利得に与える影響が、従来の予想よりも大きいことが分かった。図2に光利得の温度依存性の計算結果を示している。構造1では、周期nの上位発光準位と、隣の周期n+1の高エネルギーサブバンド準位とがそろっていた。構造2ではこの状態が解消され、上位発光準位からのリーク電流が減少した。その結果、構造1に比べ低温領域での最高光利得が大きく改善しており、液体窒素温度(77K)まで高い最高光利得が保たれている。このように、新たなリーク電流の経路とメカニズムを特定したことで、リーク電流を抑えるように発光層構造を最適化できた。

 次に、この構造を用いることで実際にどの程度リーク電流が抑制できるかを評価するため、上述の計算結果をもとに、レーザーの発光領域幅200マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)、共振器長1mmの通常サイズのデバイスを用いたテラヘルツ量子カスケードレーザー(構造2)と液体窒素デュワーを組み合わせたレーザー発振システムを作製した(図3)。

図3 本研究で作製したテラヘルツ量子カスケードレーザー
(左)液体窒素デュワー(左側)とテラヘルツ量子カスケードレーザーを組み合わせた発振システム。
(右)内蔵されたテラヘルツ量子カスケードレーザーアレイの拡大写真

図4 本研究で作製した構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの特性
(左) 構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの電流-電圧特性と電流-光出力特性。4Kで350 mW、80Kで50mWというピーク出力が実現された。
(右)発振スペクトル。テラヘルツ波領域の約3.4THzに狭線幅のスペクトルが見られる。

 図4は、構造2のテラヘルツ量子カスケードレーザーの電流-電圧特性、電流-出力、発振スペクトルの評価結果を示したもの。4K(-269℃)で350mW、80K(-193℃)で50mWというピーク出力が実現された。平均出力は4Kで3.2mW、80Kで0.45mWに達し、単位面積当たりの出力ではテラヘルツ量子カスケードレーザーの中で世界トップレベルに相当する。また、構造1のピーク出力(4Kで250mW、80Kで10mW)と平均出力(4Kで2.3mW、80Kで0.09mW)に比べて、構造2ではどちらも大幅に向上したことも分かった。このように、従来型の基本設計によるテラヘルツ量子カスケードレーザーであるにもかかわらず、高出力化と高温動作が実現した。

今後の期待

 今回発表された研究では、非平衡グリーン関数計算法を用いた第一原理計算によって新たな経路のリーク電流の解析と特定を行い、この知見に基づいたレーザー発振デバイスを作製した結果、テラヘルツ量子カスケードレーザーの高出力化および高温動作性能の向上に成功した。特に、直接発振過程に寄与していない遠距離の高エネルギーサブバンド準位の光利得と電流分析への影響の定量分析は、世界初の試みとなる。
 この解析方法と、今回提案された新たな発光層構造の改善法は、特定の材料システムや基本設計にとどまらず、テラヘルツ量子カスケードレーザーの開発全般における特性改善に大きな影響を与える重要な成果だ。
 理化学研究所は「本手法の活用により、今後、世界に先駆けた高温・高出力動作の実現が期待され、幅広いテラヘルツ光応用分野の開拓に大きく貢献すると考えられる」としている。